青年のページ

原水爆禁止2006年世界大会 青年分科会
  
「継承」テーマに 96人の被爆者が証言


         

 「第二回核兵器なくそう・世界青年のつどい」準備委員会は、被爆体験の「継承」をテーマに、参加者への問題提起を重ねました。
 五日の青年分科会には約千人が参加。被爆者を少人数で訪ねて話を聞くものと、シンポジウムとに分かれました。証言した被爆者は九十六人、今回初めて話すという被爆者もいます。広島県被団協と広島の青年実行委員会が「青年に話してほしい」と被爆者に訴えてきました。
 「訪問組」のある班では、地図を示しながら被爆範囲を解説後、数人の被爆者がそれぞれの体験を証言。
 十五歳のとき爆心地から二`で被爆した中西はるゑさんは、原爆投下後爆心地近くの自宅に向かいました。騒々しい中で、「はるちゃん」と自分を呼ぶ声が聞こえたので振り向くと、足元に「真っ黒い風船みたいな」顔の友人の姿があったと言います。また森本範雄さんは爆心地から一`で被爆、真っ黒に焼けて似島に運ばれた後、死体と間違われてあわや埋められるところだったと話しました。
 一人の青年が「正直言って、想像ができない」と話すと、被爆者やその場にいた他の戦争体験者らは「若い人にどう伝えたらよいか迷っている」としつつ、「戦争の怖さをわかってほしい、戦争では人権はないんだよ」と強調しました。

シンポでは、被爆者で広島県被団協理事長の金子一士さん、報道写真家の森住卓さん、大阪学生平和サークルHEY◎の宅田葉月さん、BAR・スワロウテイル店長の富恵洋次郎さんの四氏がパネリスト。
 金子さんは、自身の体験から「原爆は人間を物にしてしまう」と語りました。森住さんは、世界の核被害の実態を写真を見せながら報告。無脳症で生まれたイラクの赤ちゃんの写真に、青年たちは息を飲みます。「僕も、本当に被害者の痛みや苦しみが分かるのかいつも葛藤している。被爆者の話も、頭、心、感覚、すべてを動員して想像しながら聞いてほしい」と呼びかけました。
被爆者の聞き取り活動をしている宅田さんは「以前私は、反戦のモチベーションを上げるために被爆者の証言を聴いていた」と告白。「でも、被爆直後の悲惨な話だけが被爆体験じゃないことに気付いた。その後歩んだ道のりも含めて、被爆証言とはその人の人生そのものだと思う」と話しました。自分の店で毎月被爆体験を聞く企画を開いている富恵さんも「あの悲惨な状況から今まで生き抜いてきたのは凄いこと。人生の先輩として学ぶことがたくさんある」と語り、生の被爆者と向き合い、その「心」を受け継ぐことの重要性を訴えました。

 六日の閉会総会では、現地青年実委事務局長の浜村健一さんがアピールを行いました。被爆者の話を直接聞ける最後の世代として、「何を、何のために、どのように継承するのか?」を考えながら、「一度限りの共感に終わらない継承という営みを確実な、豊かなものに」しようと会場全体に呼びかけました。


大会初参加者の感想★青年分科会に参加して

俺たちの使命…北海道・Fさん

 被爆者の話を聞いて、涙をこらえるのが大変でした。言葉にできない感情がこみ上げました。六十一年経つのに、被爆者は涙を流して話してくれた。それほどの出来事だったんだと思います。でも平和資料館で原爆の展示を見たけど、今でも「こんなことありえねー」と、信じられない気持ちです。
 こういう大会があることは知ってましたが、誰かがやってくれると思っていました。「被爆体験を聞ける最後の世代」という言葉を何度か聞きましたが、初めは意味がわかりませんでした。でも直接被爆者の話を聞き、みんなと話す中で、次世代に伝えるのは俺たちだと気づいた。被爆者の話を聞く使命が、俺たちにはあるんだと思う。なあなあで生きてるだけじゃ、被爆者に失礼だと思いました。
 一人でも多くの人に伝えたい。ミュージシャンを目指しているんですが、いつかは平和の歌を歌えるかな。まずは、帰ったらクラスで報告させてもらえるように担任に交渉するつもりです。


無駄にしない…高知・Nさん

 被爆者の方の話を聞けるのは今しかありません。被爆者も同じ気持ちだろうと思います。被爆体験を話しているときの表情を見ていると、当時のことを思い出し、つらそうな顔をされることがあります。その人が長年背負ってきた悲しみ、苦しみが見えてくる気がするんです。
 被爆体験は、被爆者の数だけあります。何万人が亡くなったという数字だけではなく、一人ひとりの人生がそこにあったんです。だからこそたくさんの被爆者の人生を聞き、イメージを膨らませることで原爆の姿を知ることができるんだと思います。
 語らずに亡くなった人はたくさんいます。新たに話し出す人もたくさんいます。あえて話してくれた人の気持ちを、私は無駄にはしたくありません。話したくない、思い出したくもないと思いながら、それでも平和の世の中を願って私たちに被爆体験を語ってくれる、その人の気持ちをたくさんの人に伝えたい。

(「平和新聞」2006年8月25日)

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ピースエッグのチラシができました

 エッグ企画、分科会・フィールドワーク等紹介しています。参加申込用紙も入っていますので、ダウンロードしてご活用下さい。

  ☆ 愛知エッグチラシ表紙
  ☆ 愛知エッグチラシ中面
  ☆ 愛知エッグチラシ裏面




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東京平和委青年協など
被爆体験継承の集い開催


    

 七月二十五日、「戦後・被爆六十一年 継承とわたし」が東京都内で開催されました。主催は東京平和委員会青年協議会や青年団体、有志でつくる実行委員会。
 去年の原水爆禁止世界大会で呼びかけられた被爆の実相を引き継ごう、との訴えに答え、各地で被爆体験を聞き、記録する取り組みが進んでいます。実行委員会では、八月の年中行事ではなく、今被爆体験を継承するために「わたし」自身が何をするのかを考えられる企画にしようと準備をすすめました。
 当日は青年を中心に約三十人が参加。実委員が売り出した豆腐をつまみながらの会となりました。日本被団協事務局次長の岩佐幹三さん、バンクーバーでの世界平和フォーラムに参加したジャズシンガーの形岡七恵さん、そして日本原水協の前川史郎さんによるパネルトークを中心に、参加者同士で交流しました。
 現在七十七歳の岩佐さんは、広島で被爆。家の下敷きになった母親を置いて逃げました。おばのところへ着いたとき、「お母さんを殺しちゃったよー!」と泣き叫んだと言います。これまでに皮膚ガン、前立腺ガンを患いました。「戦争があるために核兵器が作られる、核兵器の脅威をまだ背負わされているんです」「継承とは自分で考えること」と訴えました。
 形岡さんはバンクーバーでの経験を通し、自分は歌で継承することが役割だと思ったと話しました。前川さんは今年の原水爆禁止世界大会の魅力や、青年企画では「継承」をテーマに組み立てていることなどを紹介しました。
 参加者からの「興味のない人に原爆のことをどう伝えられるだろう」との疑問に対し、「自分が思ったことを伝えること」という意見が出されるなど、自由な討論が交わされました。
(「平和新聞」200685日)


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ピースエッグ2006inあいち(9/16〜18)
   
現地実行委員会結成


    

 六月十日、ピースエッグinあいちの実行委員会が結成されました。二十代前半の青年を中心に十四人近くが参加し、ピースエッグにかける思いを交流し合いました。
 ピースエッグに参加したことのある青年からは、「若い人が二、三百人も集まって平和について話し合える場は、エッグ以外にはなかなかない」「ピースエッグは、平和運動に長く携わっている人も興味のなかった人も関係なく、みんなが同じ地点に立って議論ができることが魅力」「青年も平和運動ができるんだと実感し、感動した」など、その魅力が出されました。

 また愛知での開催に向け、「青年がやりたいと思うことを素直に企画にしたい」「県内の戦跡や空襲体験の実相を学びたい」「飢餓や貧困など、グローバルな課題にも目を向けたい」などの案を出し合い、「これを機に愛知の平和の仲間を増やしたい」といった展望を語り合いました。
 実行委員長に奥村さん、事務局長に滝田さんを選出、九月十六〜十八日の本番に向け準備を進めます。

(「平和新聞」
2006625日)

  エッグチラシ(PDF)






北海道平和委員会青年協議会

平和好き33回目〜パレスチナを考える


 北海道平和委員会青年協議会は五月二十三日、「パレスチナ!の巻 平和好き全員集合33回目」を開催、八人が参加しました。「映画からパレスチナ問題を考える」をテーマに、パレスチナとイスラエルの子どもの交流を描いたドキュメンタリー映画「プロミス」を上映、日本のアジア外交などと関連させながら討論などを行いました。200665日付「平和新聞」1802号)




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