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◆第5回◆
憲法と平和主義の歴史 (その2)市民革命と平和主義
「国家権力をしばるもの」として近代憲法をかちとってきた人類は、どのように平和主義を築いてきたのでしょうか。近代以降の憲法が戦争と平和をめぐる問題をどう扱ってきたかを見てみましょう。
1.フランス革命からの「侵略戦争の否定」
平和主義と人権保障・国民主権(民主主義)は、日本国憲法の基本原理です。これらは、相互に密接不可分な関係をもっています。そして、この不可分性は、近代憲法が生まれた時からすでにあることが確認できます。平和主義は、日本国憲法だけの「専売特許」ではなく、また日本国憲法は、その点で「孤立」しているわけでもないのです。
フランス革命最初の憲法である一七九一年憲法は、「フランス国民は、征服を行うことを目的とするいかなる戦争も企てることを放棄し、かついかなる人民の自由に対してもその武力を決して行使しない」と定めています。
ここには侵略戦争の否定がうたわれています。これは、後に一九二八年のパリ不戦条約でようやく国際的約束となり、その後、国連憲章、日本国憲法九条へと連なっていきますが、その源流はこの時生まれているのです。そして、この「侵略戦争の否定」を憲法にかかげる国は、今でも多く存在します。
2.軍隊の性格の転換民主主義ふまえて
ところで、フランス革命の時期の平和主義は、侵略戦争は放棄するものの、国家が軍隊を持つことは当然の前提とされていました。この点では、日本国憲法の平和主義とは、歴史的段階を異にしていることに注意する必要があります。ここには、中世以来ヨーロッパでつちかわれてきた「正戦論」(戦争には正しい戦争と不正な戦争があり、自衛や制裁のための戦争は正しい戦争であるという考え方)の名残りが見られます。
このように軍隊や(正義の)戦争の存在を否定しきれなかったものの、フランス革命が人類の平和主義の歴史に偉大な足跡を残したことはまちがいありません。歴史というのは、その時々の人々の一歩一歩の地道な努力によって発展してきたものなのです。
先にあげた「人民の自由に対して武力を決して行使しない」というのも、当時としては画期的な原則です。なぜなら、革命以前の絶対王制時代のフランス、そして革命当時のヨーロッパの他の国の軍隊は、武装した貴族や傭兵からなり、外国の侵略と人民の抑圧を主たる任務とするものでした。こうした軍隊の性格を根本的に変えて、人権と民主主義の原理をふまえた「国民の軍隊」であるべきことが強調されたのは、フランス革命が共和制を樹立したことのたまものでした。
スイスのルツェルンという美しい湖畔の町の一角に、「瀕死のライオン」というレリーフがあります。これは、フランス革命の際に国王を守ろうとして戦って死んだスイス人傭兵を悼むものだそうです。いまでこそ「永世中立」の国であるスイスは、当時は貧しい山国で、人々はヨーロッパの国々の傭兵となることで暮らしを立てていたのです。そのようなヨーロッパの戦乱に巻き込まれた過去への反省が、この国を「永世中立」へと方向づけたといえるかもしれません。
近代市民革命の時代は、こんにちの平和主義が完成したかたちで現れたわけではありません。そこには、なお時代に制約された限界があります。しかし、そうではあっても、こんにちの平和主義につらなる時代の扉を開いた画期としての意義を見落とすわけにはいきません。
(小沢隆一、2005年6月5,15日合併「平和新聞」1769号掲載)
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